ちょっと回顧録
10代は早く大人になりたかった。
大人になったら自分自身の人生を生きられると思った。

20代は一人前になりたかった。
自分に何ができるかは未知数だったけど、
何にでもなれる可能性だけは無限にあった。

20代でやったこと。
大学生。自費出版物の編集。ダンサー。学生演劇。
銀座のミニクラブのチーママ。
モータースポーツ中心の企画。
DTP。WEB製作。報告書製作の代行。
広告代理店のイベント管理。
コンピューター関連企業のコンベンション事務局。

同業他社の女性陣に「辞めないでね」ってよく言われてた。
それくらいきつい仕事だったから。

この頃はとにかく実年齢より年上に見えるように頑張ってたなあ。
イベント制作はずっと事務局の責任者だったので、
若く見えるのは絶対に損。
若い女なんて許されないのだ。
服装もバリキャリ。
自信がなくてもハッタリかまして。

煙草なんて吸わないのに、どこに行っても灰皿出されていた。
咥え煙草でキーボード叩いているイメージだったんだって。

できることはなんだってやった。
ほんとに寝なかった。休みなんてなくてもよかった。
仕事だけど毎日が合宿みたいな日々。
苦しいけど楽しかったんだなあ。

この頃に身に付けた技術は今でも役に立っている。
経験して無駄になるものなんて何もない。


それでも、ちょっとでも時間があったら小唄のお稽古に行った。
歌舞伎を観に行った。
桐箪笥の中身だけは増えた。

社会人になって10年経った30代。
ふと、ほんとにやりたいことはなんだったっけと思った。


好きなものはなんだったろう。
やっぱり着物。歌舞伎。

こんなに寝ないで仕事するなら、
こんなに仕事を頑張るんなら、
ほんとに好きなことをしたらいいんじゃない?

で、呉服屋を始めた。
呉服屋といっても企業コーディーネーターのようなもの。
小さな染屋さんや小さな機屋さんの商品を
小売店さんに紹介して。
小売店さんにはお客様をつくる方法をアドバイスして。
広告作って。
イベント主催して。
きもの雑誌によく取材してもらったのも、この頃。
きものサロン

ところがここで、ちょっとけつまづく。

あまりに人間関係が面倒になったので(笑)
お寺で隠遁生活を送ること1年。
八王子のお寺さんで1年間のんびり庶務などさせてもらって。
今までで一番のんびりした一年間だったかもしれない。

不惑の40歳。
そろそろ呉服に復帰しようとお寺さんから引いた。
にも関わらず、神楽坂のワイン輸入会社に入ることになり。
そこのワインバーに立つことになり。
あっという間の2年間。

そして、芸者。

いつでも力になってくれる友人がいて。
力を貸してくれる仕事仲間がいて。
たくさんの方がたくさんのご縁を繋いでくれて。
迷惑もいっぱいかけて。
今の自分がいる。

感謝することばかり。

人生って面白い!
| これまでのこと | 23:09 | comments(0) | - | pookmark |
私が芸者になった訳
ほんの30年ほど前まではどこの街にも花柳界があって、大勢のの芸者衆がいました。
昭和30年代は花柳界の数は少なくとも東京都心で28ヶ所、近郊に54ヶ所。
赤坂だけで300名以上の芸者衆がいたのです。

それが今では絶滅危惧種に近い職業です。
テレビや雑誌でしか見たことの無い職業ではないでしょうか。それも京都の舞妓さん、芸妓さんくらい。
東京に芸者がいるのを知らなかったという方も多い。
誰でも知っている職業なのに、見たことはない。会ったこともない。

特殊な職業だからでしょうか。
よく尋ねられるのです。
「どうして芸者になったの?」

赤坂金龍で。

だって、芸者になりたかったんだもん。

できれば18歳でお披露目して半玉を何年か務めてから芸者になりたかった。でも、そのチャンスはなかったのです。
いえ、そのころはそれほど本気じゃなかったのでしょうね。
本気だったら私のことですから絶対に18歳で半玉になってます。

大学にだって行きたかったし。
役者になってみたかったし。
ダンサーにもなりたかったし。
デザイナーにだってなってみたかったし。

仕事も仕事じゃないことでもいろんなことを経験しましたよ。そりゃあもう一冊本がかけるくらい。

そのなかでご縁があって、赤坂のよし子姐さんの初めてのライブをお手伝いすることに。
1年間毎月ライブをするという目標を立てての月例ライブ。
たいへんだったけど楽しかった。

1年間のライブも無事にやり終えた、ある日、よし子姐さんが前触れもなくこう切り出したんです。

よ「ねえねえ、あんた芸者にならない?」
ふ「えっ? 」
よ「ライブのときあんなに芸者に間違えられて、どこの芸者さん? どこの町の妓?って言われてたんだから」
ふ「えええっ?!」
よ「なっちゃいなさいよー」
ふ「…お姐さん。私がいくつだかご存知ですよね?」
よ「大丈夫よー」
ふ「何も芸事ができませんが…」
よ「芸者になってからお稽古すればいいのよ」
ふ「……(半信半疑)」
よ「私が引き受けるから!」

で、芸者になってしまいました。

芸者になってほんとによかったと思います。
楽しい。めちゃめちゃ楽しい!
天職!

お稽古が好きなだけできます。時間と費用の許す限りどれほどお稽古しても褒められこそすれ怒られることはありません。
お稽古したことはお座敷ですぐに生かせます。
それを喜んでくださるお客様がいらっしゃいます。
接客業、大好きです。
大好きな着物が仕事着。綺麗な拵えが身上です。
日本髪に引き着。もう言うことありません。

たいへんなことはたくさんあります。
でもそんなのはこの楽しさに比べたらなんでもありません。
悔しいことがあってもワーって泣いて、お姐さんに愚痴を聞いてもらえばそれでケロッとしていられるくらいなもの。

よくよく思い出せば小さい時から芸者に憧れていたんですよね。
正確には時代劇に出てくる芸者さんに、ですけど。

長くなるのでその話は、また。
| これまでのこと | 23:12 | comments(0) | - | pookmark |
夢のかなった日
2010年6月8日。
赤坂で一春本からお披露目しました。
わかりやすく言うとこの日、芸者になったということです。
所属は東京赤坂組合。
置屋は一春本(かずはるもと)。
芸名は「ふみ香」です。

芸者は接客業ですので風俗営業法の対象で18歳からしか働くことができません。
京都だけは条例で15歳から働くことができますけど。

一番若ければ18歳で芸者(年齢的には半玉)になります。
20代も半ばになると芸者としては遅いデビューと言われます。
にも関わらず、私が芸者になったのは42歳のとき。
遅いにもほどがある。

芸者が年を表明しちゃいけないんですよ。
夢を売る商売ですからね。
現実の世界に生きていてはある意味いけない。
でも、この年でこれならいいんじゃない? と思ってもらえたらいいのではないかしら。というか隠し事のできない性格でついつい言っちゃうんですよね。

お披露目の前のときにはご挨拶に回ります。
これからお世話になる料亭さん、一緒に働かせていただく先輩の芸者衆、置屋さん。
ご挨拶に伺った時に大先輩のお姐さん(お姐さんと言ったら芸者衆のことです)に言われた一言。
「遅いっ!芸者になるならもっとさっさといらっしゃい」
その通りです。
もっとさっさとなりたかったのですよ。
でもね、チャンスをつかみ損ねてました。

くだんのお姐さんのお言葉、意地悪じゃないのです。
もっと早く芸者になればいろんなことができたのに、仕事だってたくさんあったのに、年を取ってから芸者になったら苦労するのよ、とまあそんなことが含まれているのです。

とはいえ、紆余曲折を経て、ずっと憧れていた芸者になりました。

2010年6月8日。
芸者・ふみ香の生まれた日。
この日は私の長い間の夢がかなった日です。

| これまでのこと | 00:58 | comments(0) | - | pookmark |

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